舌打ち
眼前には一つのアパート。ベージュの塗装が剥げ落ちていないのと、階段やその他の鉄に錆びが付着していないという事実から、このアパートが新築である事が雄弁に物語られている。真新しい黒い扉には『102号室』、という表札が昇の目線上に丁度あり、チャイムの横にはシールで『楠木』というラベルが張られている。
その真ん前に二人は立ち、昇がチャイムを押す。
カアァア、と欲しくもないカラスの返答はあるが、昇が求める相手からの声はない。
もう一度、願うように昇はチャイムを押す。
…………
「……留守のようね」
玲於奈の一言が現実を突き付ける。
(……体は奴に乗っ取られたままか)
舌打ちが晴天に響き渡る。あの『固有結界』外では、人格を維持できないのでは、という微かな望みを抱いていたのだが、やはり直接対決しか司影を救う手段はなさそうだ。
大きく息をつき、
「帰りましょうか。あいつはいないようですし」